武者絵の里 大畑

武者絵の里 大畑 は日本の心を伝える武者絵のぼり

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絵柄説明

絵柄(武将)の説明

 

八幡太郎義家 平安時代末期の将軍。姓は源でであるが、石清水八幡宮で元服したので八幡太郎と称した。前九年の役・後三年の役で活躍し、東日本のおける源氏の地盤を確立した。部下の功を私財をもってねぎらっため人望を集め、百姓が田畑を競って寄進するようになった。院には武人最初の昇殿を許され、天下第一の立派な武士とされている。
源 義経
(1159~1185)
源氏と平氏とが合戦した時の花形武将。幼名は牛若丸で京の五条橋で弁慶を打ちすえ従臣にしたといわれている。兄頼朝の挙兵に参じて平家の軍を次々と破った。義経の一生は日本人の心に「判官びいき」という言葉を生み、美男子な誠の武将として今日にかたり継がれている。
上杉 謙信(1530~1578) 戦国時代の将軍。越後(新潟県)守護代の子として生まれ、下野(栃木県)・越後を制して春日山城に入って統一をはかる。そして北上してきた武田信玄の軍と信玄が塩を送った話は「敵に塩を送る」という語源として有名なである。
武田 信玄(1521~1573) 戦国時代の将軍。甲斐(山梨県)の守護・信虎の長子。風林火山の旗を背に信濃(長野県)の諏訪氏を滅ぼし、小笠原・村上氏を攻めて、上杉謙信と川中島で戦った1561年の戦いでは、上杉謙信と直接対決したとされている。「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」を座右の銘としたと伝えられ、国内の治山治水事業にも功績を残している。
那須 与一  那須資高の十一子で名は宗高。文治元年(1185)、源平屋島の合戦で、平家の船上に掲げられた扇の的を射落としたことにより名を上げる。この功により、武蔵・信濃・若狭・丹波・準中の5カ国に荘園を与えられたと言われる弓の名人。
太閣 秀吉(1536~1598) 安土桃山時代の武将。足軽の子に生まれて天下統一を成し遂げ、立身出世の人物とされている。織田信長に仕えて各地で武功をたて、信長没後は大阪城を築城している。1585年には関白、翌年には太政大臣に任ぜられた。刀狩りをはじめ封建支配体制の基礎を築いた。
加藤 清正(1562~1611) 安土桃山時代の武将。幼少から豊臣秀吉に仕え、賤ケ丘の戦いに武功をたてて七本槍の一人といわれた。1588年に肥後(熊本県)の領主となる。朝鮮の役には先峰として転戦し、虎狩りの伝説は有名となっている。
徳川 家康(1542~1616) 1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いで石田三成らを破り1603年征夷大将軍に任ぜられて大江戸幕府を開いた 。大阪の陣で豊臣氏を滅ぼし幕府260余年の基礎を確立、東照大権現の諡号を下賜。
鍾馗(しょうき) 玄宗皇帝が病にかかり、高熱と悪夢にうなされていた折、終南山よりかけつけた鍾馗という豪勇無双の大男が豪剣を振って病魔を払いのけたため、皇帝の病は一朝にして回復したので皇帝はいたく喜んで、夢に見た鍾馗を画匠呉道子に描かせて邪鬼払い神として端午の節句の祝品として描かれる様になった。
高 砂

熊手を持った翁(おきな)と箒を持った媼(おうな)が相生(あいおい)の松の下に立つ図柄は、高砂図の代表的なもの。砂浜に老夫婦に鶴、亀、松など、夫婦の長寿と和合、家庭の永年の繁栄とを祈願して描かれている。